2000調査実習6月22日

調査実習2000第10回

~文献研究~

Time Table

時間 内容
13:15 「男たちは変わったか? 全共闘世代の20年後(鈴木泰子 , 1992)

第六章 森岡良二郎 (1950年生まれ 出版社社長)

・都立大学に入学し、「生化学」を学びたいと思ったが、大学では無理と考え中退する。
・三里塚闘争に農民支援の活動家として参加し、その頃今の奥さんと出会う。
・本を出すことによって状況を切り開いていきたい。
・運動の中に仕事があり、仕事の中に運動があるのが理想。

第七章 横山哲哉 (1953年生まれ 練馬区役所所属)

・新潟高校でバリケード封鎖があり、3時間で終わったものの地域の社会問題になる。
・大学時代、下らないとの思いで運動にはかかわっていなかった。
・当時の時代の雰囲気に巻き込まれたと思ってはいるが、それはそれで良かった。
・どんな職業でも、そこでの労働の意味を見い出せる。

第八章 三枝秀晴 (1949年生まれ 型枠大工、反原発出前のお店スタッフ)

・原子力発電の技術者に対する不満
チェルノブイリの事故以降、「反原発出前のお店」に加わる。
・現代は男が置いていかれる時代である。
・国家に結びついて強固に見える奴の足をすくいたい。

第九章 野村浩 (1950年生まれ 大手電気メーカー勤務)

・男は社会につながれている。
・何か仕事をしながら、ボランティア的に運動をしていきたい。
・女の人が変わることによって、社会を変えていける可能性が広がる。

第十章 岡本厚 (1954年生まれ 岩波書店編集者)

・74年の夏に沖縄に行き、それまでの人生観を変える体験をする。
・日本社会の矛盾に対し、問題があると考える人が動き、地域に積極的に出ていって人間関係をつくり、
ネットワークをむすぶべき。

あとがき

「これから私達はどうすればいいのか」という所に焦点をあわせた。
世の中を変えていく可能性があるとすれば、それは女が変わることによってだ。
普通の女が変わることによって男も変わるはず。(様々な価値観が変わりつつある)

13:44 仕事・家庭・メディア・時代班に分かれる。
13:53 ・仕事班発表「国民生活白書(H10)-『中年』その不安と希望」より
14:20 ・家族班発表「団塊世代と教育について」

「『団塊』家族 12のキイワードで読む団塊世代と団塊ジュニア」より

14:52 <休憩>
15:15 ・時代班発表「全共闘グラフィティ」より

全共闘運動とは ――
全学共闘会議の略称。1960年代後半、大学と学問のあり方を問うところから主として
ノンセクト・ラジカルの学生達によって闘われた運動。

[東大闘争]
東大の青医連と医学部長との間のこぜりあいをかわきりに、東大内で様々な学生運動が起こる

1969年 1/18~1/19 安田講堂攻防戦

[日大闘争]
大学を学問の場から利潤追及の場とした古田理事会体制への批判が学生運動となり、1968
年9/30ついに両国講堂で大衆団交が開かれ、学生の圧倒的勝利で幕を閉じる。

[全国全共闘]
1969年9/5 日比谷野外音楽堂で全国全共闘連合の結成大会が開催され、70年安保紛
砕、沖縄闘争勝利、佐藤訪米実力阻止、などが叫ばれる。

[羽田闘争]
1967年10/8 佐藤訪ベトナム阻止闘争
(佐藤首相・・・ベトナム戦争の激化に伴い、安保体制のもとに参戦国化を強めつつあった)
1967年11/12 佐藤訪米阻止闘争

[佐世保闘争]
エンタープライズ(米国原子力艦艇)が1968年1/17,18頃佐世保へ寄港という非公式
通告が米国側からなされ、それに反対した学生が当日、アメリカ海軍佐世保基地へ向かい機動
隊と激突、後、後退

[10・21 国際反戦デー]
1968年10/21 新宿駅を中心に、同時多発ゲリラ闘争として、全国46都道府県56
0カ所で30万名が参加――ベトナム戦争反対と70年安保改定阻止が叫ばれる。

[70年安保闘争]
1969年11/16,17 代々木公園で7万人の参加者による佐藤訪米阻止闘争が起こる。
その後激しい市街戦へ(この日の逮捕者は全国で2千名以上)

15:40 ・メディア班発表「マンガについて」

マンガ戦後史を振りかえってみると、マンガが戦後精神史の形成に無視できない役割をはたしていることに気付く。その中心となるのは40年代後半に生まれた団塊の世代とよばれる人々である。
(佐々木毅・鶴見俊輔 他編 1995「戦後史大辞典 増補縮刷版」 三省堂)

○40~50年代  手塚治虫によるストーリーマンガの開拓,月刊誌黄金時代

<キーワード>
手塚治虫 → 複雑な物語をマンガに(人間の内面心理の表現。心理的ドラマとしての物語)。
マンガのコマ・オノマトぺの革新。
赤本 → 大阪・松屋町の玩具問屋を版元とする低俗・粗雑なマンガ本。駄菓子屋などで売っていた。
貸本マンガ → ‘56年、貸本マンガ誌『影』(日の丸文庫)が創刊され、ブームを迎える。探偵もの、
時代ものとならんで戦記マンガが人気を集め、俗悪、低級と批判されながらも、
辰巳ヨシヒロ、さいとうたかおらによる「劇画」が芽吹いた。やがて若年労働者層も
読者として視野におさめ、マンガ読者層の高齢化のさきがけとなった。

○60年代  週刊誌と貸本劇画、青年マンガの時代

<キーワード>
週刊誌 → ‘59年、『週刊少年マガジン』,『週刊少年サンデー』創刊。月刊誌は‘62年『少年クラブ』
休刊から‘68年『少年』、‘69年『少年ブック』までゆるやかに衰退に向かう。
‘68年『少年ジャンプ』(集英社),‘69年『少年チャンピオン』創刊。
石ノ森章太郎、藤子不二雄、赤塚不二夫、寺田ヒロオ、ちばてつやらが、月刊誌から
週刊誌にあいついで作品を描き継いだ。
貸本劇画 → 本来は大阪の一部の貸本マンガ家たちの、いわば運動宣言のためのネーミング。
マンガとよばれるものよりシリアスな、リアルなものを描くんだという
ニュアンスを含んだ言葉。
月刊誌・週刊誌の子供マンガよりはるかに制約がゆるく、自由に描けたようだ。
反中央的な雰囲気の中から出てきた、マンガの中のアンダーグラウンド、
カウンター・カルチャー。
『ガロ』 → ‘64年創刊雑誌。貸本屋の衰退に伴い発表の場を失いつつあった、つげ義春・
水木しげる・滝田ゆうら、貸本系劇画家たちの重要な舞台となった。
反権力的な雰囲気をもって、学生を中心に新しいマンガ表現に向かうムードの、
いわば必読書、中心的な雑誌になっていった。
『COM』 → ‘67年、手塚治虫の虫プロ商事の創刊雑誌。劇画勢力の拠点の感があった
『ガロ』に対し、手塚はこれでマンガの正統性を主張。
青年マンガ → 少年マンガの想定年齢層を超えた読者を対象としたマンガ作品。『コミック
magazine』(‘66 芳文社)、『漫画アクション』(‘67 双葉社)、『ビックコミック』
(‘67 小学館)などに白土三平・水木しげる・手塚治虫・石ノ森章太郎・
さいとうたかおらが作品を発表した。

○70年代  マンガの細分化 団塊世代のマンガ離れ

≪私のさる友人の説では、「団塊の世代」というのは、「がきデカまでしか理解できない世代」のことなのだそうだ。≫
(中島梓 「会えなくなって、はじめて知った」 秋田文庫‘97年刊『マカロニほうれん荘』1)

15:55 「メディア電化製品について」

1,テレビ

<エピソード>
1953 民放放送開始
この時、関東地域では、「街頭テレビ」なるものが街角に設置され、スポーツ中継な
どを行った。話題のスポーツの中継が行われたときなどは、都心では電車が止まり、
窓ガラスが割れ、百貨店の床が抜けるなどの大混乱を引き起こした。

1960 カラーテレビ放送開始
カラーテレビの市販が始まったのは、上の通り1960年のことである。しかし、ま
だ当時はカラーテレビは非常に高価なものであったことに加えて、その前年の皇太子
ご成婚の放送を見るために白黒テレビを無理して購入した家庭が多かったと言うこと
もあり、カラーテレビ発売当初は、裕福な一部の家庭が使用するに留まっていた。最
終的にほとんどの家庭にカラーテレビが導入されたのは、1975年頃の話である。

2,パソコン

パソコンが普及しはじめたのは実はまだごくごく最近の話で、個人単位の使用となると、
まさにここ数年の話である。それ以前のパソコンというと、一部の機械好きの人達が趣味
で使用したり、企業内でワープロ代わりに使用するだけだったりと言うことで、実は今ほ
どポピュラーな家電ではなかったのである。したがって、団塊の世代では「パソコンは苦手」
と言う人の方がかなり多いと思われる。

16:10 具体的な実地調査に関する説明
17:02 <終了>

~実地調査~

時間 内容
16:10 桜井教授による今後の調査に関する説明

主に、調査対象者の選択方法についての説明。

・原則として、2人以上のインタビューとトランスクリプト(テープ起こし)を行なう事。
・トランスクリプトの結果を、夏合宿(9月末)に持ち寄って、全員の前で発表する事。
・調査対象者は、調査実習メンバーのうちの数人の同窓会名簿から選出した方が1人、
親や親戚、知人(もしくはそれらの紹介者)が1人の合計2人が原則である。

16:25 インタビューをお願いする為の話し合い

依頼状執筆の担当者2名、夏合宿の担当者2名、及び調査実習報告書の編集委員長1名を決定。

16:40 夏合宿に関する話し合い

・日程について
・場所について
・予算について
・合宿時の詳しいプログラムについて

17:30 <終了

Field Notes

  • 今日は団塊世代の各班の発表があった。全共闘の形(成り立ち・経緯)が分かって良かった。しかしどうしてこの世代はこんなに熱くなったんだろう。 逆にどうして私たちの世代はこんなに冷めてるんだろう。国立大学独立法人化するのにね。それが今回の調査で分かるといいなと思う。
  • 先生はとても疲れていたようだが、私はとても興味深くみんなの発表を聞いていた。特に全共闘の話は、出来事は聞いた ことがあっても、何故そのようなことが起こったのか、などの詳しい背景を知らなかったので、知ることができて良かった。全共闘、安保闘争、三里塚闘争など 当時の学生はとても熱く、体制に反抗しようとがんばっていたが、連合赤軍事件の話を聞くと、なぜそのような道に走ってしまったのかだろうか・・・と思う。 道を外すことにしか、自己表現の術を見出せなかったのだろうか。
    当時の熱は結局完全に冷めてしまい、人々は社会の上の方で体制維持に躍起になっているように思える。「あの頃は・・・」と郷愁にかられながら思い出したりしているのだろうか。

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