調査実習2000第13回
~班別発表~
Time Table
時間 |
内容 |
13:08 |
諸連絡 |
13:26 |
・仕事班発表「男性の自立とその条件をめぐる研究」
先週の続きの部分を担当。夫婦間のコミュニケーションのずれや、性別役割分業意識が薄まっているとはいえ、男性は、妻には家事、育児に影響が出ない範囲でしか仕事に出ることを認めたがらない、娘には、「良い結婚」をし、「良き妻、良き母」になることを求めている、ということが調査結果から明らかに。また、意識の変化はいたるところに見られるが、「家族を養い守るのは男の義務」、「男には決断力と指導力が不可欠」と思っている男性は依然多く、「男らしさ」からの解放はまだ遠いようだ。 |
|
・家族班発表「団塊の世代の親子関係」
団塊の世代は、70年代後半にさしかかる老親の扶養、介護問題に直面する一方で高度経済成長期終焉後に生まれ教育期の渦中にある子供に挟まれたサンドイッチ世代である。
団塊の世代の介護体験、意識
・親の介護は子供(嫁)の義務という規範に立つ一方、自分自身が被介護者になる場合には
自宅介護を希望しない。
・介護の担い手は圧倒的に女性であり、専業主婦が多い。
・同居であれ別居であれ、自宅介護であれ、介護費用は被介護者の貯蓄でまかなわれ、基本的には
子供(介護者)の負担になっていない。
⇒経済的負担と介護は別問題
団塊の世代とその子供の親子関係
・子供の経済的自立が20歳代後半と遅くなっている。
・子供が働き始めてからも、親から子供への経済的、非経済的援助の方が大きく子供の自立を促す気風は希薄である。
・離家規範は曖昧であり、離家年齢は上昇している。
・親子の情緒的絆は強く、同居への満足度は双方で強い。
・親は老後の扶養を子供に期待しない者が多いが、子供の側では親への扶養意識は予想以上に高い。 |
|
・家族班発表「ものの値段について」
団塊の世代の人たちが大学に入るころから就職し始めたころの1965年から1974年までを取り上げることにしました。
1965
ー ブロッコリー、オクラ、玉レタスなどの新しい野菜が登場
ー 大蔵省、標準世帯献立表による標準メニューは大人一人1日167円
1966
ー 即席ラーメンが人気,1月に「サッポロ一番」、9月に「チャルメラ」、何れも30円
ー 大蔵省による標準生計費1日187.87円
1967
ー 立ち食いそば屋が人気、スタンド式のカレー屋や飲み物やが広がる
ー ビール・ブーム
ー 果汁なしレモン飲料、乳分の少ないコーヒー牛乳などの”うそつき食品”が問題化
1968
ー エビの輸入大幅増加
ー マーガリンの世帯当り年間消費量がバターを大幅に上回る
ー 初のレトルト食品「ボンカレー」が登場、80円
1969
ー 即席ラーメン海外30カ国で人気
ー 自然食品ブームの始まり
ー コカコーラ、年に26億本を売って売上日本一の食品会社
1970
ー 100%果汁ジュースが広まる
ー ケンタッキーフライドチキンの初登場
1971
ー 玄米が若者の中に静かなブーム、アメリカに流行
ー アメリカ風食べ物がはやり始め、ミスタードーナツやダンキンドーナツ
ー 炊いたご飯を長時間保温できる電子ジャーが発売され、食生活に大きな変化をもたらす
1972
ー 食品業界に“天然色ブーム”、クチナシ、サフラン、ウコン
ー バナナの消費量がピーク・一人平均年間6kg
ー 低カロリー、低コレステロールの健康食品がヒット
1973
ー トイレットペーパーの買い占め騒動、灯油、洗剤なども
ー 一人一日の栄養摂取量2522kcal(国民栄養調査)
1974
ー コンビニエンスストアが登場「セブンイレブン」
ー 石油ショックによる狂乱物価 |
|
・時代班発表「三島由紀夫、右・左翼、オイルショックについて」 |
|
・メディア班発表「イベントについて」
1960-70年代(団塊の世代の人が中学生から30歳くらいまでの期間)に開催された万国博覧会やオリンピックについてと、当時のスポーツについて。
1970 日本万国博覧会(大阪)
77カ国6421万9千人。「人類の進歩と調和」をテーマに開催。「アジアで最初」の「史上最大の参加国」を擁する万国博。また、入場者数も過去最大であり、当時の日本の総人口(1億470万人:沖縄を含む)との対比においてもその規模には大きな意味があるだろう。会場ではモノレール、動く歩道、データ通信システムなど、モノや情報についての展望が未来都市として表現された。一番の展示の呼び物はアメリカ館の「月の石」、ソ連館の「宇宙船のドッキング」であったが、まさにそれは人類の交通の物理的先端の光景として存在していた。デザイン的には丹下グループあるいはメタボリストたちによって構想された60年代的都市像の実験場となった。
●1957-1960「赤バット」から「ミスタージャイアンツ」へ
――長島茂雄巨人軍入団。新人王、本塁打王、打点王に。
●1961-1964きのうもきょうも国際試合
――国技・柔道で日本勢が完敗
1964 第18回オリンピック競技大会(日/東京)
――アジアで燃えた世界の青春。「東洋の魔女」茶の間をわかす。
94カ国7000人。衛星によるテレビ中継最初の大会であり、放送の効果を最大限に発揮するために
放送機器の開発に重点がおかれる。「史上最大の規模」「アジアで最初」ということが盛んに
叫ばれたが、それはベルリン・オリンピック(1936)以来の「民族の祭典」の場での国威発揚をも意味し、テレビを通じて全世界に同時性をもってプレゼンテーションされた。オリンピックを契機に主に交通網の整備による大規模な都市/国家改造が行われる。新幹線、名神高速道路、首都高速道路、それらはまさに高度成長のシンボルでもあった。
○関連事業:新幹線、地下鉄、高速道路、空港、港湾、上下水道、宿泊所、公園などの整備
○花いっぱい運動、都市清掃運動などが東京から全国へ波及
○金メダル15個(米、ソに続いて3番目)
●1965-1968「行過ぎスポーツ」に批判の目
――消える「根性」と「しごき」
●1969-1972「一億総スポーツマン時代」
――先兵はボウリングとバレーボール |
|
・メディア班発表「雑誌について」 |
15:50 |
<休憩> |
16:00 |
インタビュー経過報告 |
16:30 |
インタビューの質問内容についての説明 |
17:30 |
<終了> |
~実地調査~
時間 |
内容 |
15:50 |
諸連絡
・ホームページについて
・合宿について |
16:00 |
インタビュー経過報告
・先週の時点で決まっていた8人の対象者についてその後の経過の報告
・先週から今日までに届いたはがきの担当者決め ー 新たに9人OKの手紙をいただいた |
16:30 |
桜井教授よりインタビューの質問内容についての説明
・質問のしかた
・トランスクリプトルール
・トランスクライバーについて
①3台を電算機室に設置
②貸し出しのルール決め
③トランスクライバーをはじめとする機材は助手室で管理
・インタビュー等でトラブルが起きたら先生の自宅または携帯へ連絡をすること
・インタビューは二回以上行くこと
※別れる時に次の約束をすることが重要 |
17:30 |
<終了 |
Field Notes
- 今日は自分の発表でドキドキした。自分がよく分からなかった所は、やっぱりつっこまれてしまうので、何とも厳しい。私はもう日曜日にインタビュー に行かなければならず、はじめての失敗インタビューになってしまったらどうしようかと心配である。電話した時の感じは悪くなかったが、怒られたらどうしよ うとか、話が進まなかったらとか不安はつのるばかりである。考えると胃が痛くなる。サブでついていくだけだし、気楽に考えようとは思っているのだ が・・・。次回に乞うご期待!?
- 本日も記録しました。なんだか本格的に動き出したってかんじですね。みんなも何となく一体感が生まれた気がします。しかし、グループ発表は、「もう少し団塊というテーマに近づけたほうがいいな。」というのがありました。
- 今日の発表では親子関係と物価の話が印象に残った。団塊世代は介護をしょいこんでしまってる、というイメージがある。 物価の移り変わりは、こう改めてみると「こんなに変わったのか・・・」としみじみしてしまった。インタビューでもぜひ聞いてみたい。インタビューもトラン スクリプトも、話を聞くとますます大変さを実感してしまう。対象者に電話するだけでも緊張するのに・・・。がんばろう・・・。
- 今日は僕は発表でした。班の中で何をするか分担したわけではなかったので、さんざん悩んだあげく右翼と、石油危機に ついて、ちょこっと徹夜でやってみました。おかげで今日は変にテンションが高かったり、後半は意識が飛びまくったりと結構大変で、特に後半の話はかなり大 事な内容だとわかっているのに、どうしても耐えられませんでした。目の前に座っている伊藤先生がじーっと僕の顔を見ているようだったので、ほおをたたいた りしたけど、 予想以上に眠かったでした。今回は自分のインタビューの担当が両方とも決まり、さあこれからやるぞという感じです。
[ 調査実習一覧 | 調査実習2000 | 前回へ ]